「うちの子は呼べば戻るからノーリードでOK」——その思い込みが招く取り返しのつかない事故

「うちの子はちゃんと呼べば戻ってくるから、リードなしで走らせてあげてもいいよね?」

そんな声を、SNSでも、ドッグランでも、たくさん耳にします。

自由に思いきり走らせてあげたい。リードがない方が信頼されている気がする。

「呼べば戻る」は積み上げてきた絆の証だ——その気持ちはとてもよくわかります。

この記事は脅すためではなく、守るために書きました。

目次

① なぜ「100%の呼び戻し」は存在しないのか——行動科学からの答え

まず、結論から。

「どんな状況でも絶対に戻ってくる犬」は、行動科学的に存在しません。

これはラーテルの主観ではなく、後述する行動科学の知見と、多くのドッグトレーナーが一致して認めていることです。

捕食行動連鎖(predatory motor sequence)——本能の設計図

犬には「捕食行動連鎖」と呼ばれる、本能に刻まれた一連の動きの設計図があります。

英語で predatory motor sequence(プレダトリー・モーター・シークエンス)。狩りの動きの順番、という意味です。

具体的には、こんな流れです。

じっと見つける(orient)→ 目で追う(eye)→ 忍び寄る(stalk)→ 追いかける(chase)→ 捕える(grab)→ 仕留める(kill)……

犬種によって、この連鎖のどの段階が強くなるか、あるいは弱められるかが異なります。牧羊犬は「じっと見て→忍び寄る」が強く、「仕留める」の部分が抑えられています。テリアは「捕える・仕留める」が強い。

そしてサイトハウンド——グレーハウンドやウィペット、そしてイタリアングレーハウンド(イタグレ)は、「追いかける(chase)」が突出して強化された犬種です(Coppinger & Coppinger, 2001;Bradshaw et al., 2017)。

何百年もかけて、視覚で獲物を捉え、驚くほどの速度で追いかけることを仕事にしてきた血統。それがサイトハウンドという存在です。

「追うスイッチ」が入ると、命令は届きにくくなる

小動物がフワっと横切ったとき。自転車が横を走り抜けたとき。向こうで犬が走っているのを見かけたとき。

そのとき犬の中では、chase のスイッチが入ります。

chase が発動した状態は「高覚醒(hyperarousal)」と呼ばれ、興奮と脳内報酬が同時に高まります。

この状態では、日ごろ積み上げてきた「お座り」「こい」という学習した合図が、本能の動きに負けやすくなります。

「ドーパミンで命令が届かなくなる」と断言するほど機序は単純ではないのですが、行動研究でも、犬は覚醒が高まるほど衝動の抑制(が効きにくくなることが示されています(d’Ingeo et al., 2021;Mellor et al., 2024)。

「うちの子はお庭で完璧にできるから大丈夫」
——そう思う気持ちはわかります。でも、これは般化という問題です。

低刺激の環境でできることが、高刺激の屋外でも同じようにできるとは限りません。

「家でできる」と「河川敷でリスに反応した瞬間にできる」は、行動科学的に別の話なのです。

突発的な音(花火・雷)、見知らぬ他犬との喧嘩、猫や鳩……どれかひとつでも、呼び戻しは破綻するリスクがあります。

② イタグレが「特に」危険な理由——断言できること

ここから先は、イタグレのブリーダーとして、はっきり伝えたいことです。

時速40〜45kmで走り出す犬を、声で止められますか

イタグレの最高速度は約40〜45km/h。短距離スプリンターとして、極めて高い加速力を持っています。

一度 chase のスイッチが入って走り出したイタグレを、呼び戻しで止めることは、ほぼ不可能です。

ROMP Italian Greyhound Rescue(米国のIGレスキュー団体)が記録している実例を見ると、

「公園でリードを外した後、リスを追いかけて戻らなかった」「交差点を越えた先で車に轢かれた」
——こういった案件が後を絶ちません。

細い四肢は、事故の致命傷になりやすい

イタグレの骨は、見た目通りに繊細です。

交通事故、フェンスへの衝突、不整地での転倒
——逸走中のこれらは、簡単に骨折につながります。

脚の骨折はイタグレでよく見られる受診理由のひとつです。
骨折はイタグレにとって、生命を脅かす大事になることも少なくありません
(骨折・治療については「イタリアングレーハウンドの骨折治療と3D技術」も参照してください)。

外見に傷がなくても、衝撃を受けた後には必ず受診してください。

ラーテルの考えはこうです

イタグレと向き合ってきたブリーダーとして、はっきり言います。

イタグレは、囲いが確実な場所以外では原則ノーリードは厳禁です。

これは「信頼していない」からではありません。
イタグレという犬種の本能と身体構造を知っているからこそ、出る言葉です。

日本スピッツはサイトハウンドほどの強いchase本能はありませんが、
好奇心旺盛で環境の刺激に反応しやすい犬種です。

屋外でのノーリードは、どの犬種でも推奨できません。

③ 法律と飼い主さんの責任——正確に知っておいてほしいこと

「知らなかった」では済まない話を、正確にお伝えします。

動物愛護管理法と条例の違い

「動物愛護管理法でノーリードは禁止されている」という説明をSNSで見かけることがあります。

ただ、これは正確ではありません。整理しておきます。

動物の愛護及び管理に関する法律(昭和48年法律第105号)第7条第1項には、
「動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない」という規定があります。これは努力義務であり、法律自体に罰則はありません。

係留義務は、各自治体の条例で定められています。

たとえば東京都の場合、
東京都動物の愛護及び管理に関する条例第9条で「確実につなぐ、または制御できる者が綱等で確実に保持する」義務が課されています。

第40条では、違反した場合に拘留(1日以上30日未満)または科料(刑罰・前科がつきます)と定められています。

大阪府でも同様に常時係留義務があり、違反には拘留・科料が適用されます。

条例の内容は地域によって異なりますが、「広い河川敷の端だから大丈夫」という論理は成立しません。

囲いのない場所は、係留義務の対象です。

ドッグランのように適切な囲いがある場所や、訓練競技などは例外が認められる場合が多いです。

民法718条——愛犬が誰かを傷つけたら

民法718条「動物の占有者の責任」は、飼い犬が他者や他の犬に危害を加えた場合に、
飼い主が損害賠償責任を負うことを定めています。

ポイントは「相当の注意を尽くしたと立証できない限り」という点です。

ノーリードでの事故では、この立証はほぼ不可能です。

過去には、次のような賠償が命じられた判例があります。

事案判決(賠償額)
ノーリードの犬が他の犬を噛み殺した(名古屋地裁 H18.3.15)約67万円
人の鼻を咬傷、形成手術が必要になった(大阪地裁 S61)220万円超(後遺症慰謝料含む)
公園で他の犬を咬傷(東京地裁 R3.5.14)約15.7万円

※判例の詳細は東京都動物愛護相談センターの公的解説等による。賠償額は事案ごとに大きく異なり、古い判例(昭和61年=1986年)は当時の物価水準である点にも留意してください。

人身事故の場合は治療費・後遺障害・休業損害が加わるため、さらに高額になりえます。

④ 「ノーリードじゃないから安全」も危ない——フレキシリードの落とし穴

リードをつけているから安全、とは限りません。

伸縮リード(いわゆるフレキシリード)には、見落とされがちなリスクがあります。

ロック操作が一瞬遅れるだけで、飛び出しは止められません。コードが他の人や犬の足に巻き付く事故も報告されています。製品によっては数メートル以上伸びた先で急に飛び出した場合、飼い主が制御できる力をはるかに超えます。

医学誌での報告もあります。フレキシリードのコードが跳ね返り、
眼に当たることで水晶体脱臼・黄斑裂孔などの重篤な眼外傷が起きた症例が記録されています
(Waqar & Simcock, 2012)。

公道・混雑した場所・初対面の犬が多い環境でのフレキシリードは、安全面で適していません。

⑤ よくある疑問に正直に答えます

「今まで一度も問題なかったんですが」

シートベルトをしていなくても、事故に遭わない日が続くことはあります。

でも、それは「安全だから」ではなく「まだ起きていないだけ」です。

確率がゼロでない限り、対策は必要です。

「広い河川敷なら大丈夫では?」

広さは逸走リスクを下げません。

むしろ、広いほど追いかけるのが難しくなります。

判断の基準は「広さ」ではなく「囲いがあるかどうか」です。
河川敷の向こうには道路があります。

「訓練すれば大丈夫では?」

呼び戻しの訓練を積むことは、とても大切なことです。

絆も深まりますし、万一リードが外れてしまったときの保険になります。

ただ、「訓練すれば chase 本能を100%上書きできる」という科学的根拠はありません。

サイトハウンドの専門家やプロトレーナーの間でも、囲いなしノーリードを勧める人はほとんど見当たりません。

訓練はノーリードの「許可証」ではなく、「保険」と「絆づくり」のためのものと位置づけてください。

「ドッグランもダメですか?」

囲いが確実なドッグランは、ラーテルが積極的に推奨できる運動の場所です。

ただし、イタグレは跳躍力があります。フェンスの高さ・隙間の有無・扉の二重性を必ず確認してください。

他の犬との相性も見ながら利用してください
(運動管理については「イタグレの運動管理——「走らせない」が骨を弱くするは本当か」も参照してください)。

⑥ では、どうすればいいか——自由を安全な形で

「リードをつけるしかない」で終わらせたくないので、具体的な方法をお伝えします。

ロングラインで「走る喜び」を安全に

ドッグランに行けない日でも、安全な広い場所であれば、ロングライン(5〜10mの長いリード)を使うことで、走る喜びを与えながら安全を確保できます。

これはイタグレにも日本スピッツにも有効な方法です。

「リードがある=制限」ではなく、「リードがある=一緒に走れる」という感覚で使ってみてください。

呼び戻し訓練は「保険」として続ける

呼び戻しの練習をやめる理由はありません。万一リードが外れたとき、
あるいは玄関から飛び出してしまったとき

——そのために日々の練習があります。

ただし、「呼び戻しができる=ノーリードOK」という考え方は、リセットしてください。

逸走対策の5つの柱

どんなに気をつけていても、リードが外れることはあります。万一に備えた対策を5点。

対策ポイント
① 首輪+ハーネスの二重接続首輪だけだと外れやすい。2点で繋ぐことでリスクを大幅に下げる
② 金具・リードの定期点検経年劣化で突然外れることがある。月1回は確認を
③ マイクロチップ登録令和4年6月から販売業者には義務、一般飼い主は努力義務。迷子になったとき確実に身元確認できる手段
④ 迷子札すぐ目視できる情報として今も有効。チップとの二刀流が理想
⑤ 玄関・門の二重扉「外に出ようとした瞬間」の事故が多い。家の構造で防ぐ

まとめ

「自由に走らせてあげたい」という気持ちは、正しいものです。

ただ、イタグレという犬種について言えば
——chase本能と最高速度と繊細な骨格の組み合わせは、
ノーリードでの逸走を致命的な事故に直結させます。これはこの犬種と向き合ってきた中で、確信を持って言えることです。

リードは「愛の制限」ではありません。リードは「愛の表現」です。

あなたの犬の命を守るために、あなたが選んだ道具です。

安全な囲いの中では、思いきり走らせてあげてください。ドッグランで、ロングラインで、その子が全力を出せる場所を一緒に探していきましょう。

もし逸走してしまったときは、外見に異常がなくても必ず獣医師に診てもらってください。骨折は表から見えないことがあります。

参考文献

  • d’Ingeo S, et al. (2021)「Emotions and Dog Bites: Could Predatory Attacks Be Triggered by Emotional States?」Animals (Basel) 11(10):2907. doi:10.3390/ani11102907(PubMed
  • Mellor N, et al. (2024)「Impact of Training Discipline and Experience on Inhibitory Control and Cognitive Performance in Pet Dogs」Animals (Basel) 14(3):428. doi:10.3390/ani14030428(PubMed
  • Bradshaw JWS, et al. (2017)「The influence of breed and environmental factors on social and solitary play in dogs」Learning & Behavior 45(4):367-377. doi:10.3758/s13420-017-0283-0
  • Waqar S, Simcock P (2012)「Retractable dog leashes: are they as safe as they seem?」Eye (Lond) 26(3):490-491. doi:10.1038/eye.2011.352(PubMed
  • Coppinger R, Coppinger L (2001)『Dogs: A Startling New Understanding of Canine Origin, Behavior & Evolution』Scribner. ISBN 0684856867
  • 動物の愛護及び管理に関する法律 第7条(昭和48年法律第105号)e-Gov法令検索
  • 東京都動物の愛護及び管理に関する条例 第9条・第40条(東京都例規
  • 環境省「犬・猫の引取り及び負傷動物の収容状況」(令和6年度)
  • 東京都動物愛護相談センター「ペットの飼い主にふりかかる法的トラブル」(判例解説コラム)
  • Italian Greyhound Active Health Project UK
  • ROMP Italian Greyhound Rescue「Italian Greyhound Escape Risks」

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