イタリアングレーハウンドの骨折治療と3D技術——「3Dプリントギブス」を正しく理解するために

こんにちは、ラーテル犬舎です。
「3Dのギブスがあると聞いたんですが、どう思いますか?」
最近、こういった話を飼い主の方からいただくことが少しずつ増えてきました。
イタリアングレーハウンドの骨折という怖い経験をしたあと
——あるいは、もしものときに備えて「よりよい治療方法があるなら知っておきたい」と思うのは当然のことです。
ただ、正直に伝えたいことがあります。
「3Dのギブス」と一口に言っても、実は2つの全く異なる技術系統が存在します。
日本で独自に発展した「3Dギプス治療法」と、
海外の研究で進んでいる「3Dプリントを使った手術補助技術」
——この2つは、治療の思想から使い方まで根本的に違います。
どちらも興味深い技術ですが、混同したまま病院に相談すると、
話が噛み合わないことがあるかもしれません。
この記事では、まず従来のギブスがはらんでいたリスクのデータを確認し、
そのうえで2系統の3D技術をそれぞれ整理してお伝えします。
「もし骨折したとき、どう動けばいいか」——それが分かる記事を目指しています。
まず知っておいてほしいこと——従来のギブスはなぜ危ないのか
イタリアングレーハウンドの前脚、特に手首に近い橈骨・尺骨の遠位端(とうこつ・しゃくこつのえんいたん)が骨折しやすいことは、以前の記事でもお伝えしてきました。

問題は、骨折した後の話です。
「ギプスで固定して安静にさせれば治る」
——そう思っている方が多いのですが、イタリアングレーハウンドのような細い脚を持つ犬種では、
これが現実にそぐわないことが研究で明らかになっています。
カナダの獣医外科医 Harasen が2003年に発表した論文では、
橈骨・尺骨の遠位1/3の骨折を外固定(ギブスや副木による固定)だけで治療した犬の追跡調査において、
骨不癒合(こつふゆごう)——骨が正常にくっつかず、偽関節になってしまう状態が最大80%に達したと
報告されています(Harasen, Can Vet J, 2003)。
骨不癒合とは、固定をしたにもかかわらず、骨が再生せず繋がらないままになってしまうことです。
慢性的な痛みが残り、最終的に機能的な肢として回復できなくなるケースもある、
決して軽視できない合併症です。
さらに深刻な問題があります。
同じく Harasen が2012年に発表した研究では、サイトハウンド(グレーハウンド、ウィペット、イタリアングレーハウンドを含むグループ)の骨折治療を追跡したところ、
外固定を使用した全例に軟部組織の損傷が発生したと報告されています(Harasen, Can Vet J, 2012)。
この研究で追跡した60頭全体の約2/3に軟部組織損傷が見られ、
その程度は皮膚炎から始まり、
圧迫による潰瘍、ひどいケースでは無菌性壊死(組織が死んでしまうこと)や敗血症(細菌が全身に広がる状態)にまで及んでいます。
なぜサイトハウンドで特に深刻なのか。答えは皮膚の薄さと脂肪の少なさです。
イタリアングレーハウンドの皮膚は、他の犬種と比べて極端に薄く、
皮下脂肪がほとんどありません。
ギブスや副木が少しでも当たり方がずれると、摩擦と圧迫がそのまま皮膚に伝わります。
「適切に装着した」はずのギブスでも、歩くたびに少しずつ位置がずれる
——その繰り返しが、あっという間に潰瘍を作ってしまうのです。
日本で独自に発展した「3Dギプス治療法」を知っていますか
このような従来のギブスの問題に対して、日本では独自の解決策が生まれています。
千葉県柏市のいしじま動物病院(院長:石嶋茂夫獣医師)が2018年に確立した「3Dギプス治療法」です。
何が違うのか
仕組みをシンプルに言うと、3Dスキャンで計測した患肢の形状に完全に合わせたカスタムギプスを製作し、
その犬専用のフィット感で固定する治療法です。
最大の特徴は、手術なし・全身麻酔なし・入院なしであることです。
そして、従来のギブスが「できるだけ安静に」を原則としていたのに対して、
この治療法では装着したまま歩いてよい、むしろ歩くことを積極的に推奨している点が根本的に異なります。
骨折した肢に適度な荷重をかけながら治す「歩きながら治す設計」です。
通院は週1回の日帰り。
ギプスの調整と皮膚の洗浄・消毒を繰り返しながら、骨の自己修復を促していきます。
実績と裏づけ
2023年には日本獣医麻酔外科学会において「犬の橈尺骨骨折における3Dギプス治療法」として発表されており、
2019年〜2025年の6年間で318頭339肢での実施実績があります。
公式サイトに掲載されている治癒期間の目安は以下の通りです。
- 生後6ヶ月未満の子犬:約1ヶ月
- 1歳以下:30〜45日程度
- 2歳以上:約2.5ヶ月
再骨折率は約2%(公式記載)。
一般的なプレート固定手術後の再骨折が最大20%と報告されていることと比べると、低い数値です。
対象と制約
ただし、この治療法は万能ではありません。
誠実に伝えると、いくつかの制約があります。
- 対象は犬の前足(橈尺骨)骨折が中心 — 後肢の骨折や関節疾患には対応していません
- すべての骨折状態に適応できるとは限らない — 骨折の重症度・粉砕の程度によって判断が必要です
- 費用は公式サイトに明記なし — 「特殊外科は電話で問い合わせ」とされており、断言できません。
ただし、手術・入院・麻酔がない構造から、プレート手術とは異なるコスト感になる可能性はあります
対応している病院
いしじま動物病院での研修を修了した「認定院」体制で、
全国16院に対応が広がっています(2025年時点)。
【関東】
- ますみ動物病院(千葉県袖ケ浦市・中橋獣医師)
- いわぶち動物病院(千葉市・岩渕獣医師)
- ロコペットクリニック(神奈川県厚木市・大村獣医師)
- ぼくとわたしの動物病院(神奈川県秦野市・笹原獣医師)
【中部】
- 稲葉獣医科医院(静岡県富士宮市・稲葉獣医師)
- 師勝動物病院(愛知県北名古屋市・羽守獣医師)
- 陽だまり動物病院(長野県下伊那郡・山崎獣医師)
- いわた動物病院(岐阜市・岩田獣医師)
【北海道・東北】
- 円山動物病院(北海道札幌市・宮坂獣医師、千石獣医師)
- 緑の森どうぶつ病院(北海道旭川市・山中獣医師)
- ウイル動物病院(宮城県仙台市・吉田獣医師、山本獣医師)
- 山形霞城どうぶつ医療センター(山形市・高野獣医師)
【関西】
- 会亀動物病院(大阪府堺市・会亀獣医師)
- リベ大どうぶつ病院(大阪市住吉区・林獣医師)
- nicolaどうぶつ病院(兵庫県西宮市・森下獣医師)
最新情報はいしじま動物病院の公式サイトで確認してください。
2つの系統を整理する——「3D技術」は目的が違う
「3Dプリント」という言葉でひとくくりにされがちですが、現在の獣医療では目的の全く異なる2系統が存在します。
| 日本のいしじま式「3Dギプス治療法」 | 海外研究で進む「3D手術補助技術」 | |
|---|---|---|
| 治療の方向性 | 非手術・外固定 | 手術(プレート固定)の精度向上 |
| 3Dプリントの使い方 | 患肢に合わせたカスタムギプスの製作 | 手術ガイド・手術計画モデルの製作 |
| 手術の有無 | なし | あり(手術が前提) |
| 麻酔の有無 | なし | あり(手術時) |
| 入院の有無 | なし(週1日帰り通院) | 通常あり |
| 主な活用地域 | 日本(全国16院) | 欧米・アジアの研究機関・専門施設 |
| エビデンス状況 | 学会発表あり、318頭の実績 | 国際学術誌に複数掲載 |
どちらが「正しい」かという話ではありません。
骨折の状態、個体の状況、通院できる距離、担当獣医師の判断
——そのすべてを踏まえたうえで、どの選択肢が最善かを考えることが大切です。
海外研究の3D技術——手術補助としての活用
海外での主な活用文脈も整理しておきます。
2024年に獣医学誌 Veterinary Sciences に掲載された研究(Lee et al., 2024)では、
犬の橈骨骨折に対するプレート固定手術において、3Dプリンタで作製した手術ガイドを使用することで手術時間を17〜19分短縮できたと報告されています。
骨の形状に合わせたガイドを使うことで、プレートの位置決めが精密になり、手術の負担が減る
——そういった補助的な役割です。
また、飼い主への説明模型として、「どこがどう骨折しているか」を
視覚的に示すツールとしても有効だと報告されています。
この系統では、スキャンや設計・出力に時間とコストがかかること、
スキャンに麻酔が必要になる場面があることも、現実的な課題として残ります。
現時点の標準治療はプレート固定手術であり、この3D技術はその手術をより精密に行うための道具として発展しています。
「ギブスを貼る代わりに3Dプリントのものを使う」という意味ではなく、
手術の精度を上げる補助ツールとしての位置づけです。
飼い主として「どう動くべきか」——3段階で考える
ラーテル犬舎として、こう考えています。
① まず、骨折させないことが最優先
ソファやベッドへのスロープ設置、滑り止めラグの活用、
抱っこ中の落下防止
——予防できることから着手してください。骨折後の治療のどんな選択肢よりも、骨折しないことが一番です。
② もし骨折したら、最初に運ぶ病院の選択が予後を左右する
かかりつけの動物病院が整形外科の専門施設でない場合、
二次診療病院や大学附属の獣医病院、あるいは3Dギプス治療の対応院への紹介を相談してください。
「ギプスで様子を見てみましょう」という対応だけで終わった場合、骨不癒合のリスクが高まります。
最初に連れて行く病院の選択が、その後の回復全体を左右します。
「あのときすぐに専門病院に行っていれば」という後悔はしてほしくない。
③ 2系統の3D技術を理解した上で、担当医に相談する
「3Dギプスで治したい」と思うなら、対応院が近くにあるかどうかを事前に確認し、相談してみてください。
前足の骨折で、手術を避けたいという状況であれば、選択肢に入りうる治療法です。
「3Dプリント技術を使った手術精度向上の対応はありますか?」と
整形外科専門施設に聞くことも、決しておかしなことではありません。
どちらも「知っておくべき選択肢」であることは間違いありませんが、
どちらが適しているかは骨折の状態と担当医の判断に委ねる部分があります。
飼い主が決められることは「適切な病院を選ぶこと」と「技術の系統を正確に理解して質問すること」です。
まとめ
- イタリアングレーハウンドの橈尺骨遠位端骨折を外固定だけで治療した場合、
骨不癒合は最大80%に達するという報告がある(Harasen, 2003) - サイトハウンドは皮膚が薄いため、外固定による軟部組織損傷のリスクが全例に発生したという研究もある(Harasen, 2012)
- 日本では、いしじま動物病院(千葉県柏市)が2018年に確立した
「3Dギプス治療法」が全国16院に展開されており、手術・麻酔・入院なしで骨折治療を行う独自の技術系統として実績を積んでいる - 海外で研究が進む3D技術は、主にプレート固定手術の精度を上げる「手術補助ツール」としての活用であり、
いしじま式とは治療の方向性が異なる - どちらの技術も骨折の状態と個体によって適応が変わるため、まず信頼できる専門病院に相談することが最初の一歩
イタリアングレーハウンドの細い脚は、美しいだけでなくデリケートです。
「3Dなら安心」「最新技術だから大丈夫」という言葉に乗る前に、それがどういう技術で、
何を得意とし、何ができないのか——そこをきちんと理解してから動いてほしいと思っています。
もし骨折が起きたとき、焦りながらでも「どこに連れて行けばいいか」がぼんやりでも見えていれば、
今日この記事を読んだ意味があったと思います。
参考文献
- Harasen G. “Radius and ulna fractures.” Can Vet J. 2003 Aug;44(8):678-679. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC340379/
- Harasen G. “Soft tissue injuries from external coaptation.” Can Vet J. 2012 May;53(5):533-534. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3354833/
- Lee S, et al. “Clinical Evaluation of a Three-Dimensional-Printed Surgical Guide for Radial Fracture Repair in Small Dogs.” Vet Sci. 2024 Apr;11(4):180. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC11053707/
- Trębacz H, et al. “3D-Printed Orthoses in Veterinary Orthopedics — A Review.” PMC11083139 (2024)
- Reis T, et al. “Custom 3D-printed splints for small animal orthopedics.” CRVM. PMC13109071 (2026)
- Memarian S, et al. “Additive Manufacturing in Veterinary Medicine.” IJMS. PMC8834768 (2022)
- いしじま動物病院「3Dギプス治療法」https://www.ishijima-vet.com/(2025年5月確認)
- 師勝動物病院「3Dギプス骨折治療はじめました」https://www.shikatsu-animal.jp/(2025年5月確認)