なんだか特別な犬【日本スピッツ】——1300年の感性の話

ブリーダーとしてこの犬種と向き合ってきて、 なぜこんなにスピッツに惹かれるものがあるのか。

戦後の日本で、日本スピッツがJKCの年間新規登録のおよそ40%を占めた時代があります。

10頭に4頭が日本スピッツ、という途方もない熱狂ぶりです。
あの時代の人たちは、なぜここまでこの犬種に惹かれたのか。

「ふわふわしていてかわいいから」という答えでは、どうにもしっくりこない。

そのことを考えていくうちに、ある長い旅に出ることになりました。
1300年以上さかのぼる、日本人と「白」の話です。


目次

元号を変えた白い動物のこと

白という色が、日本の文化の中でどれほど特別な位置を占めてきたか
——まずここから入らせてください。

650年のことです。穴戸国(現在の山口県)から、白い雉が朝廷に献上されました。
当時の人々はこれを天の吉兆として受け止め、翌651年に元号を「白雉(はくち)」へと改めました。

白い鳥一羽の出現が、国家の元号を変える出来事として扱われたのです。

さらに760年(天平宝字4年)には、肥後国(現在の熊本県)から白い亀が献上され、
元号は後に「宝亀(ほうき)」と改められました。

白色の動物が現れることが、「時代を変える力を持つ出来事」として機能していた。そういう世界の話です。

なぜ白なのかといえば、神道において白は「何にも侵されていない、汚れのない神聖な色」として扱われてきたからです。

神事の装束が白い理由も、御幣(ごへい)の紙垂(しで)が白い理由も、ここに帰着します。

白い動物の出現は、神の世界からの使者が姿を現した証
——そう受け止められていた。

その感性が、犬への眼差しにも及んでいきます。


白い犬は、道を開く存在だった

古事記には、雄略天皇の怒りを鎮めるために白い犬が使われたという話が出てきます。
臣下が天皇の怒りを買ってしまったとき、白い布をかけ鈴をつけた白い犬を丁寧に差し出すことで、
その怒りを解いたというのです。

なぜ「白い布」と「白い犬」の組み合わせなのか。白は純粋さの証であり、誠意そのものを示す色でした。

白い犬を差し出すことは、「穢れなき誠意をもって従います」という意思表示にほかならない。

単なる贈り物ではなく、白という色の霊的な意味ごと捧げていたのです。

日本書紀・雄略紀十三年条には、さらに不思議な話があります。

文石小麻呂(ふみいしのおまろ)という人物が反乱を起こした場面で、
馬ほどの大きさの白い犬が火の中から飛び出してきた。

これを斬ると、犬は小麻呂の姿に変わった
——と記されています。白い犬が人に変化し、あるいは人が白い犬として現れる。

人間界と異界とを行き来する霊的な存在として描かれているのです。

そして、日本各地に伝わる日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征伝説にも、白い犬・白い狼が登場します。

武蔵御嶽神社(東京都青梅市)の伝えによれば、日本武尊が御岳山を越えようとした際、
邪神が道を塞いだ。尊がこれを退治し深い山中へ進んだとき、忽然と白狼が現れて西北へと軍を導いた、
とされています。

感謝した尊はこの白狼に「大口真神(おおくちまかみ)としてこの御岳山に留まり、魔物を退治せよ」と命じた。

以来、白い神犬は御岳山の守り神として祀られることになりました。

長野県・岐阜県境の神坂峠(中津川市)にも似た話が残っています。
霧の中で道を見失った尊の前に、一匹の白い犬が現れて道案内をした、というのです。

山の神が白い犬の姿をとって現れ、英雄を正しい道へ導く
——この構図が、日本各地の伝承に繰り返し現れています。

宝登山神社(埼玉県秩父市)の奥宮に祀られるお犬様(大口真神)も同じ系譜にあります。

秩父地方には白い神犬信仰の神社が今も複数残っていて、参拝者は境内で白い犬をかたどった土産物を手にしていく。その信仰の根はとても深いところまで伸びています。

白い犬は、道に迷った者を正しい方へ導く存在として語り継がれてきました。
神の使いであり、異界と人間界をつなぐ存在として。


白無垢に込められた三つの意味

白への特別な感性は、婚礼文化にも深く刻まれています。

白無垢には、三つの意味が重なっているといいます。

一つは「穢れ祓い」。
白の清浄なイメージそのままに、花嫁はこれまでの暮らしで受けた一切の穢れを白で払い落として新しい家へ入る。

二つ目は「どんな色にも染まれる空白」。
白は何色にも染まることができる色です。「嫁ぎ先の色に染まります」という意思表示とも読まれてきました。

三つ目は、少し意外かもしれませんが、「死と再生」です。
白は古来、日本で死装束の色でもありました(現代の葬儀が黒になったのは明治以降、西洋文化の影響によるものです)。
花嫁が白無垢を纏うことは、生家での「死」と、嫁ぎ先での「再生」を意味するという解釈です。

日本人の一生は白い産着から始まり、白い死装束で幕を閉じる
——そう指摘されることがあります。

白は人生の両端に存在する色であり、「この世の外にある何か」と最も近い位置にある色、ともいえるのです。


10頭に4頭が白い犬だった時代

長い前置きになりましたが、ここからようやく日本スピッツの話に入ります。

戦後の日本で、日本スピッツは空前の人気を誇りました。

1950年代後半、JKC(ジャパンケネルクラブ)の年間新規登録頭数のおよそ40%を日本スピッツが占めていたとされています。

街を歩けば10頭に4頭が白い日本スピッツ、という計算です。

この数字は、今の感覚で読んでも驚くほどのものです。

現代の日本でどんな犬種が人気ランキングの首位を取っても、これほどの比率にはならない。

高度経済成長期、日本の家庭に犬を飼う余裕が生まれ始めたころ、
なぜあれほど多くの人が「白くてふわふわした犬」を選んだのか。

純白の長毛と整った顔立ち、手触りの良い被毛
——そういった審美的な魅力は確かにあります。

でも、それだけで40%という数字が説明できるかというと、正直なところ、どこか足りない気がしていました。


『ペスよ おをふれ』——白い犬が子どもたちの心に入った日

このブームの時代を象徴するコンテンツが一つあります。

少女漫画誌「なかよし」に1957年から1959年にかけて連載されていた『ペスよ おをふれ』(山田えいじ作)です。

少女と白い犬・ペスの友情を描いた作品で、
連載と並行して松島トモ子主演のラジオドラマも放送されていました。

漫画とラジオが連動して日本中に届いていた時代のこと、
白い犬のペスは当時の子どもたちの心に深く刻まれ、「白くてふわふわした犬を飼いたい」という憧れを広げていった。

漫画コンテンツが犬種ブームを作り上げた、日本でも最初期の事例の一つではないかと思っています。

メディアが火をつけた、という面は確かにある。
でも、なぜ「白くてふわふわした犬」がその役を担うことができたのか

——ここに立ち返ると、どうしても最初の問いに戻ってきます。


「キャンキャン犬」と呼ばれた時代のこと

日本スピッツには長らく、「よく吠える」「気が強い」というイメージが付きまとっていました。

「キャンキャン犬」などと呼ばれた時代があり、それが人気の急落に拍車をかけたとも言われています。
1991年には、JKCの年間新規登録頭数が1,000頭を割り込みました。

あの40%の時代から、これだけ大きく変わってしまった。

ただ、このイメージについては、少し立ち止まって考えてほしいことがあります。

「よく吠える」という評価の多くは、犬の気質そのものに問題があったというより、
当時の飼われ方から来ているものだと私は考えています。

ブームの時代、多くの日本スピッツは庭先で鎖につながれたままの生活を送っていました。
運動も社会化も十分でない外飼い、乱繁殖による個体の不安定さ
——これらが重なれば、どんな犬種だって声を上げずにはいられない状況に置かれます。

あの時代の日本スピッツが多く吠えていたとしたら、それは環境がそうさせた部分がとても大きかったはずです。

犬を責めるより、犬を取り巻いていた状況を考えてあげてほしいな、というのが正直なところです。

現代の選択繁殖では、気質の安定した個体を丁寧に繋いでいくことで、
温和で落ち着きのある日本スピッツが育っています。

うちの犬舎でも、それは日々実感していることです。
犬種の本来の姿と、厳しい環境の中での姿を、どうか混同しないでほしいと思っています。


「特別な感じがする」の正体

白い動物が神の使いとして語られてきた、1300年以上の積み重ねがあります。

白が清浄・誠意・霊性の象徴として扱われてきた文化の地層があります。

婚礼・葬礼・神事という人生の大きな節目に白がまとわりついてきた長い慣習があります。

それらが積み重なった先に、戦後の日本人がいる。
そこへ純白のふわふわした犬が現れた。

「特別な感じがする」という反応は、もしかしたら、こうした文化的な地層が意識の表面には上がらないまま作動しているのではないか
——そう考えると、あの40%という数字にも、少し腑に落ちるものがあります。

こんな話もあります、という程度の読み物として受け取ってもらえれば十分です。

証明できるものでもないし、「かわいいから好き」という理由だけで十分、
という人の感覚はそれで正しいと思います!


うちがこの犬種を続けている理由

うちが日本スピッツを繁殖し続けているのは、昭和ノスタルジーのためではありません。

この犬種には、純白の被毛、整った体型、家族への忠実さ。これらが一つになって、
他のどの犬種とも少し違う印象を作り出している。

「特別な感じがする」という感覚は、錯覚ではないと思っています。


参考資料

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次