「うちの犬の祖先は古代エジプトにいた」——FCI公式スタンダードが語るイタグレのルーツ

「この犬って、昔から絵画に出てくる細い犬ですよね? 古代エジプトにもいたって聞きました」
イタグレを繁殖していると、よくそう聞かれます。
調べてみたら、「らしい」どころではありませんでした。
FCI(国際畜犬連盟)
——世界150を超える国の犬籍登録機関を統括する、犬の世界の総本山の公式スタンダードに、
はっきりと書いてあったのです。
「イタリアン・サイトハウンドは、古代エジプトのファラオの宮廷にすでに存在していた小型サイトハウンドに起源をもつ」と。
うちで生まれた子たちの祖先がファラオの宮廷にいた
——それが、世界最大の犬籍機関の公式見解なのです。
ファラオの宮廷から始まった旅
FCI Standard N°200(2015年版)の 犬種の歴史的要約に、こんな記述があります。
“The little Italian Sighthound descends from small-sized sighthounds that already existed in ancient Egypt at the court of the Pharaohs. Passing through Laconie (Greece), where numerous representations on vases and bowls confirm this, the breed arrived in Italy at the outset of the 5th century BC. Its greatest development occurred during the era of the Renaissance at the court of the nobles. It is not rare to find the Italian Sighthound represented in the paintings of the greatest Italian and foreign masters.”
日本語にすると、こういう意味です。
「小型イタリアン・サイトハウンドは、古代エジプトのファラオの宮廷にすでに存在していた小型サイトハウンドを起源とする。
ギリシャのラコニアを経由する過程では、多数の壺や器の図像がそれを裏付けている。この犬種は紀元前5世紀の初頭にイタリアへ到達した。最大の発展はルネサンス期、
貴族の宮廷においてなされた。最も偉大なイタリアおよび外国の巨匠たちの絵画にイタリアン・サイトハウンドが描かれているのはめずらしいことではない。」
ざっと読んだだけでも、すごい旅程です。古代エジプトのファラオの宮廷を出発点に、
ギリシャへ渡り、イタリアへ上陸し、ルネサンス期の貴族のサロンで磨かれ、絵画の中に永遠に姿を刻まれた。
そして現代に至る。
この記述が「一説によると」ではなく、世界的な犬種登録の公式文書に載っているというのが、
何よりすごいことだと思っています。
テセムという犬たちのこと
ファラオの宮廷に細身の犬がいたという話は、考古学の世界でも古くから語られてきました。
古代エジプトには「テセム(Tesem)」と総称される犬が存在したと伝わっています。
耳がすっと立ち、細身で足が長く、カーリーテールをもつ。その姿の描写を読んでいると、
サイトハウンドの系譜を引く犬の面影が浮かんできます。
古王国期(紀元前2686〜2181年頃)から中王国期(紀元前2055〜1650年頃)にかけての壁画や浮き彫りに、
こうした細身の犬の図像が数多く残されています。
中でも有名なのが、ベニ・ハサンの墓群です。
中王国期の貴族や役人が眠るこの岩窟墓群には、狩猟の場面を描いた壁画があり、
そこに細くしなやかな犬が獲物を追う姿が生き生きと描かれています。
エジプトにおいて犬は、単なる番犬や狩猟の道具ではありませんでした。
冥界の神アヌビスがイヌ科の頭部をもつ神として描かれるように、犬は神聖な存在として敬われ、
王族の傍らに寄り添い、時には手厚く葬られることもあったと伝わっています。
そういう文化の中にいた細身の犬
——それがイタグレという犬種のルーツへとつながる系譜の始まりだと考えると、
この犬種をめぐる物語の深さに、改めて圧倒されます。
ギリシャの壺に描かれた犬
FCI公式スタンダードが「裏付け」として挙げているのが、ギリシャのラコニア地方の陶器です。
古代ギリシャでは、壺や碗に日常の場面や神話の一幕を描く陶芸文化が栄えていました。
そこに繰り返し登場する細身の犬の姿が、
エジプトからギリシャへと受け継がれた系譜の証拠として今に語り継がれています。
フェニキア人の地中海交易がこの拡散を後押ししたのではないか、という話もあります。
地中海を縦横に結ぶ交易ネットワークを持ち、「海の民」とも呼ばれたフェニキア文明
——そのルートに乗って、細身の犬たちが各地へ渡っていったのかもしれない。ロマンある話です。
そして紀元前5世紀、犬種はイタリアへと到達します。
FCI公式がそう記しています。
ここから、イタリアン・サイトハウンドという名の由来となる、イタリアとの長い深い関係が始まります。
ルネサンス宮廷という舞台
FCI公式スタンダードが「最大の発展」と表現するルネサンス期というのは、
この犬種の歴史においてもっとも輝かしい時代だったのではないかと思います。
メディチ家をはじめとするイタリアの貴族たちが競うように美と豪奢を追い求めたあの時代。
宮廷には詩人や音楽家や画家が集まり、洗練された文化が花開いた。
そこに、細くしなやかな犬たちが寄り添っていた。
FCI公式が「最も偉大なイタリアおよび外国の巨匠たちの絵画に描かれている」と書いているように、ルネサンス期の肖像画を眺めると、たしかにあの細い犬が登場します。
貴婦人の膝の上に、あるいは公爵の足元に、絵画の一部として自然に溶け込んでいる。あの犬です。
犬は単なるペットではなく、貴族の地位と洗練を表すシンボルでもあったのでしょう。
「どのような犬を連れているか」が、その人の品位や趣味を示した時代
——イタグレはそういう舞台で、その姿を完成させていったのだと伝えられています。
王侯貴族に愛された記録
ルネサンス以降も、歴史的な名前とイタグレのつながりを示す話はいくつも残っています。
プロイセン王フリードリヒ大王は、晩年こう言い残したとされています。
「自分が死んだら、愛犬と共に葬ってくれ」と。国王が愛したその犬がイタグレだったと伝わっており、
実際にサンスーシ宮殿の庭には愛犬たちの墓が今も残っています。
ロシアのエカテリーナ大帝、イギリスのヴィクトリア女王も、この犬種を寵愛したことで知られています。
ヴィクトリア女王の時代にはイギリスでイタグレのブームがあり、品種改良が盛んになった一方で、
度を超えた小型化によって犬種の健康が損なわれた時期もあったと伝えられています。
その後、ブリーダーたちが本来の姿を取り戻す努力を重ねて、
現在のスタンダードに至る。犬種には、そういう紆余曲折の歴史もあるのです。
1886年にはAKC(アメリカンケネルクラブ)が正式にイタリアングレーハウンドを公認しました。
古代エジプトのファラオの宮廷から数えて、気の遠くなるような時間の旅程の果てに。
「うちの犬の祖先がファラオの宮廷にいた」というロマン
ブリーダーとして、この話を改めて整理してみて、思うことがあります。
繁殖という行為は、犬種という時間の流れの中に自分が関わることだと、私はなんとなく感じています。
過去から受け継がれた命をつないで、次の時代へ渡す。その長い連鎖の中の一点に、自分がいる。
「うちの犬の祖先がファラオの宮廷にいた」
古代エジプトのファラオのそばに寄り添い、ギリシャの陶器の模様に刻まれ、ルネサンスの画布に描かれ、ヨーロッパの王侯貴族の傍らを渡り歩いてきた。
その気の遠くなるような旅路の果てに、今うちで走り回っているこの犬がいる。
そのロマンを思うだけで、この犬種を繁殖することの意味が、少し違って見えてくる気がするのです。
イタグレと一緒に暮らしている方には、ぜひ一度、そんな目でこの犬を眺めてみてほしいと思っています。
参考文献
- Fédération Cynologique Internationale (FCI)「FCI-Standard N°200: Piccolo Levriero Italiano (Italian Sighthound)」https://www.fci.be/Nomenclature/Standards/200g10-en.pdf(2015年)
- Encyclopaedia Britannica「Italian Greyhound」https://www.britannica.com/animal/Italian-Greyhound(参照:2026年5月)