なぜ僕はブリーダーを続けているのか

「なんでブリーダーやってるんですか?」
「なんで犬なんですか?」
「ラーテル犬舎を始めたきっかけって何ですか?」
そう、よく聞かれます。
正直に言うと、最初から犬を選んだわけじゃなかったんです。 鷹匠になりたかったし、イルカのトレーナーの勉強もしました!
伊豆の動物園で鳥を飛ばしていたこともありますし、東京の離島・三宅島でイルカと毎日泳いでいた時期もあります。
気づいたら犬の世界にいて、気づいたらブリーダーになっていました。。
今日は、僕がなぜブリーダーをやっているのか、生い立ちから一つ一つ整理しながら、最初から話してみようと思います。 長くなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
綺麗事だけじゃなくて、僕が実際に見てきたこと、感じてきたこと、考えていること。
賛否両論あると思いますし、違う意見を持っている方もたくさんいらっしゃると思います。
でも、これが僕の本音です。 読んでくださる方には、一人のブリーダーの考えとして受け取っていただけたら嬉しいです。
僕が本当に思っていることをそのまま書いていきます。
動物が好きだった、ただそれだけの子供時代
僕が生まれたのは寒川町という場所です。
小さい頃から本当に動物が好きでした。
動物だけじゃありません。魚も好きでしたし、植物にも興味がありました。 生き物全般が好きだったんだと思います。
小学校には朝15分間の読書タイムがあって、みんなが物語とか小説を読んでいる中で、
僕は図書室にあったNEOの図鑑を一冊ずつ借りて、ひたすら読んでいました。 動物の図鑑、魚の図鑑、昆虫の図鑑、植物の図鑑……。
片っ端から借りて、隅から隅まで読み込んでいました。
先生から「それ、本なの?」って言われたこともあります。
「図鑑だからギリギリセーフなのかな」みたいな議論にもなりました。
そんなちょっと変わった小学生でした。
小学校の卒業文集には将来は動物園の園長になると書いていました。
犬たちに囲まれて過ごす現在、なんだかその夢が叶っている気がしてます
祖父母の家がちょっとした動物園みたいな場所で、
それが僕にとってはすごく大きな存在でした。
犬がいて、鳥がいて、鶏がいて、カモがいて、アヒルもヒヨコもいて、
鯉も泳いでいて。 本当にふれあい動物園みたいな環境だったんです。
そこに足繁く通って、鶏の卵を取ったり、
釣りに行って釣ってきた魚を持って帰って飼ってみたり。
自然と動物が当たり前にそばにある環境で育ちました。
今思い返すと、あの祖父母の家での経験が、僕の原点なのかもしれません。 生き物と一緒にいることが当たり前で、生き物の世話をすることが日常で。 特別なことじゃなくて、生活の一部だったんです。
中学に入ってからは剣道を始めて、どちらかというと剣道が主になった中学生時代でした。
部活に打ち込んで、動物のことを考える時間は減ったかもしれません。
でも、心のどこかにはずっと「動物と一緒に仕事をする」っていうのが当たり前のようにあったんです。
将来何になりたいかって聞かれたら、迷わず動物関係の仕事って答えていました。
だから高校を卒業して進路を決めるとき、ほとんど迷いませんでした。
何の動物と過ごすか。 それだけをシンプルに考えていました。
鷹匠への憧れ、そしてイルカの世界へ
当時、一番なりたかったのは鷹匠でした。
鷹を飛ばす人。あの姿にものすごく憧れていたんです。
鷹が空を舞って、鷹匠の腕に戻ってくる。 人間と動物が信頼関係で結ばれていて、言葉じゃないコミュニケーションで繋がっている。 そういう関係性に強く惹かれていました。
でも周りからは「それ、仕事になるの?」「お金にならないんじゃない?」って言われて。 確かにそうだなって思いました。 職業として成り立つのか、正直わからなかったんです。
それで、似たような仕事がないかなって探しました。 動物と一緒に何かをする仕事。動物のことを深く理解できる仕事。 そこで見つけたのがドルフィントレーナー、イルカの調教師でした。
イルカがイルカとして好きだったのはもちろんあります。 でもそれよりも、動物と一緒に何かをするとか、動物のことを理解できるような仕事に就きたかったんです。 それが鷹なのかイルカなのかっていう違いだけでした。僕にとっては。
そのままイルカの調教師になるための専門学校に入学しました。
専門学校に入ったら、周りはみんな僕よりはるかにイルカに詳しい人ばかりでした。 イルカの種類、生態、行動パターン……。
同学年にイルカオタクみたいな人がいっぱいいて、「僕、そこまでイルカに詳しくないな」って常に思ってました。
専門学校時代は本当にいろんなことをしました。
イルカとのふれあい、実際にサインを出してトレーニングする実習、
いろんな水族館への研修。 まさに海尽くし、海洋生物尽くしの日々でした。
イルカだけじゃなくて、オットセイ、アシカ、ペンギン。 その辺りもずっと勉強していました。
でも僕がそんな中で一番ハマったのは、イルカそのものよりも
「トレーニング」だったんです。
トレーニングの世界に魅せられて
自分が何が一番好きなのか、ずっと考えていました。 イルカが好きなのかな。アシカが好きなのかな。
突き詰めていったら、答えは「動物のトレーニング」でした。
行動分析学、オペラント条件付け、レスポンデント条件付け。
そういったトレーニングの手法、原理原則について勉強することが、
当時ものすごく楽しかったんです。
なんでその動物はその行動をするのか。
なぜ罰を使ったトレーニングはいけないのか。
褒めるタイミングはいつがベストなのか。
どうすれば動物に「これをやりたい」と思わせられるのか。
そういうことを考えて、勉強して、試して。 その過程がたまらなく面白かったんです。
当時読んでいた本で一番影響を受けたのは、カレン・プライヤーさんの『うまくやるための強化の原理』という本です。
トレーニングの原理の部分、なぜそうなるのかという理論の部分を勉強することが本当に楽しくて、何度も何度も読み返しました。
専門学校1年生のとき、自分でトレーニングがしたくてしょうがなくなりました。 でも学生だから犬は飼えない。
じゃあ何ならトレーニングできるだろうって考えて、ハムスターを飼いました。
ハムスターにいろんな芸を仕込みました。
フラフープをくぐらせたり、くるくる回らせたり、くす玉を割らせてみたり。
「おもち」っていう名前の、本当に芸達者なハムスターが誕生しました。
今思い返すと、あれが僕のトレーニングの原点です。
僕が初めて一人だけでトレーニングした動物は、イルカでも犬でもなく、ハムスターでした。
あの小さな生き物との試行錯誤が、今のブリーディングにも確実に繋がっています。

伊豆の動物園との出会い
専門学校を卒業するとき、みんなは水族館の面接を受けに行っていました。 ドルフィントレーナーを目指して、実習や研修を経て、本命の水族館に挑戦する。 それが王道のルートでした。
でも僕はどうしても、イルカだけじゃなくて、もっと違ういろんな動物のトレーニングに関わりたいと思ってしまったんです。
イルカの勉強はした。 もっといろんな動物のトレーニングに関わってみたい。
「一回イルカ以外も見てみるか」
そう思って、伊豆の動物園に研修に行きました。
そこで出会った光景が、僕の進路を決めました。
その動物園には、犬、猫、鳥、ネズミ、豚、猿……本当にいろんな動物がいて、
数百グラムから数十キロまで、ほとんど全部の動物をトレーニングする方がいらっしゃったんです。
一人の人間が、こんなにも多種多様な動物と関わって、それぞれに合ったトレーニングをしている。
「ここだ」って思いました。
他の水族館の面接も受けていたんですけど、全部中止しました。
そこだけに集中して、面接もなしに直談判で入社させてもらいました。
入社するときも普通の選考プロセスじゃなくて、
「ここで働かせてください」ってお願いして。
今思うと若さゆえの勢いだったかもしれません。
でも、あのときの決断は間違っていなかったと思っています。
そこでは主に鳥を飛ばしたり、ショーに出てMCをしたりしていました。
鳥を飛ばすのは、イルカやアシカとは全く違う世界でした。
動物との距離感、雰囲気、タイミング。 本当に厳しく教えられました。
なかなかハードな職場でしたが、学ぶことは山ほどありました。

その後三宅島での夏
その後シャボテン公園を退職し2週間も経たないうちに、僕は三宅島にいました。
三宅島は東京の離島の一つで、野生のイルカと泳げる場所として知られています。
ウェットスーツとフィンとシュノーケル、あとは着替え数枚だけ持って、飛び出しました。
向こうの船長さんに全面的にお世話になって、毎日のようにイルカと一緒に泳いで、宿を手伝って。
何も考えずに、ただイルカと海と一緒にいる日々。
最高の夏休みみたいな生活でした。
三宅島での生活はそんなに長くはなかったんですけど、一夏をそこで過ごしました。
朝起きて、海に出て、イルカを探して、一緒に泳いで。
夕方になったら港に戻って、船長さんと話をして。
なんだか夢みたいな時間でした。 あの一夏の経験は、今でも僕の中で大切な思い出として残っています。

ブリーダーの世界への入り口
いざ本土に帰るとなったとき、仕事がありませんでした。
何の仕事をしようか、ずっと考えていました。
動物園って 求人も少ないし、空きが出るタイミングも読めない。
そんなとき、たまたま静岡に帰ったところで、ブリーダーをやられている方のところでアルバイトを始めることになりました。
最初は本当にアルバイト感覚で、犬たちの世話を手伝うところからでした。
ひょんなとこからの出会いでしたが
そこから本格的にブリーダーの世界に足を踏み入れたという感じです。
最初は「なんでブリーダーなの?」って聞かれたら、「成り行きで」って答えていたかもしれません。
鷹匠になりたくて、イルカのトレーナーになって、動物園で鳥を飛ばして、三宅島でイルカと泳いで……
その流れの中で、たまたま辿り着いた場所がブリーダーだった。
そういう感覚でした。
でも入れば入るほど、この世界の深さが見えてきました。 良い意味でも、悪い意味でも。
この世界を知った
ブリーダーの仕事を本格的に始めて、入れば入るほど、
この世界の闇の深さが見えてきました。
犬の流通経路、繁殖の実態、業界の慣習。
知らなかった方が幸せだったかもしれないようなことも、たくさん知ることになりました。
「早く独立しなきゃな」っていう思いがずっとあって、
なるべく早く独立することを目指して、地元の寒川に帰ってきました。
そこからが、本当の意味での僕のブリーダー人生の始まりだったと思います。
ペットショップへの販売をやめた理由
最初の数ヶ月は、師匠に教わった通りのやり方でやっていました。
オークション会場への販売。ペットショップへの卸し。
当時の師匠がそういうやり方をしていたので、僕もそれに従っていました。
でも、ずっと違和感がありました。
自分が育ててきた犬たちが、誰に渡っているのかわからない。
どんな環境で飼われているのかもわからない。
どんな人に買われて、どんな生活を送っているのか、何も見えない。
そんな販売方法に、ずっと引っかかっていたんです。
決定的な出来事がありました。
一度ペットショップに販売した犬が、「返品」されて戻ってきたんです。
文字通りの返品です。商品として扱われて、返品された。
なんでだろうって思って、その子を引き取りに行きました。
その子を見たとき、衝撃的でした。
肉球は皮がむけ出血の跡があり、とても痩せていました。
ボロボロの状態でした。
何があったのか、詳しいことはわかりません。
でも、僕のところから元気に旅立っていった子が、
こんな姿になって戻ってきた。
いろんな感情がごちゃ混ぜになりました。
「こんなことをされるのか」 「このレベルなのか」
「僕が渡した先で、こんな目に遭っていたのか」
その子には本当に可哀想なことをしました。 自分の考えの甘さから、
そういうことを起こしてしまった。
今でも反省しています。あのときのことは一生忘れません。
それ以来、決めました。 ペットショップには売らない。
オークションにも出さない。 一般の方にしか渡さない。
飼い主さんの顔が見えるところにしか、絶対に渡さないって。
猛反発と決別
一般の方だけに販売するって決めたとき、教わった人から猛反発を受けました。
「お前にはできないだろう」 「そんなことはするな」
「いままでの方法でやっていけ」
ものすごく対立しました。 僕の考えは甘い、現実を見ろ、
そんなやり方じゃ食っていけない。 いろんなことを言われました。
結局、 今は連絡も取れません。
でも逆に、それがあったから吹っ切れたんです。
もう誰にも遠慮する必要がない。
自分が正しいと思うブリーディングを、
自分で勉強しながらやっていこうって。
師匠との決別は辛かったですけど、
あれがなかったら今の僕はいないと思います。
何もわからないところからのスタート
僕は動物関係のことしか本当にやってこなかった人間です。
専門学校も動物系、仕事も動物系。
ビジネスのことなんて何も知りませんでした。
一般の方への販売となると、ぶつかる壁がものすごく高かったです。
契約書ってどうやって作るんだろう。
領収書の書き方は? お客さんとの接客って、何を話せばいいんだろう。
僕、そもそも人見知りなんです。
接客経験なんてバイトくらいしかない。
動物のことになったらいくらでも喋れるんですけど、
それ以外の日常会話が本当に苦手で。
最初はあたふたしながらの接客でした。
「何を話せばいいんだろう」「これで合ってるのかな」って、
毎回ドキドキしながら対応していました。
契約書の書き方も、領収書の書き方も、いまいちわかっていなくて。
勉強はしていたんですけど、
実際その場になると「あれ、これってどう書くんだっけ」ってなってしまう。
でも、本当に助けられました。
最初の頃に販売したお客さんたち、オーナーさんたちが、
本当にいろいろ教えてくれたんです。
「領収書はこうやって書くんだよ」
「契約書は双方で一枚ずつ持っておくんだよ」
「こういうときはこうするんだよ」
一つずつ、丁寧に教えてくれました。
犬を買いに来てくれたお客さんが、僕に基本を教えてくれたんです。
本当に、当時のオーナーさんたちがいてくれたから、
今こうやって続けられています。 僕はお客さんたちに助けられてここまで来ました。
僕のめちゃくちゃ勝手な自慢なのですがラーテル犬舎のオーナーさんって
本当にいい人しかいないんです!!
感謝しかありません。
あの出会いがなかったら、僕はとっくに諦めていたかもしれません。
犬という生き物の多様性
一般の方への販売を始めてから、犬のこと、ブリーディングのことを改めて深く調べるようになりました。
調べれば調べるほど、犬という生き物の奥深さに驚かされます。
こんなにも多種多様な形のある生き物って、この世界にいないんですよね。 例えばチワワだったら1キロちょっと。 セントバーナードだったら体重が3桁いくこともある。 同じ「犬」という種なのに、この差。
大きさだけじゃありません。 性格も、運動量も、かかりやすい病気も、しつけの方法も、犬種によって全然違う。 その多様性に、改めて惹かれました。
今、僕がブリーディングしているのはイタリアングレーハウンドと日本スピッツです。
なんでそんな多種多様な犬種の中からこの2犬種を選んだのかは、また別の機会に話せたらなと思っています。
最初は成り行きで、流れからブリーディングの世界に足を踏み入れました。 でも、いざ入ってみると、「変えたい」「もっとこうしたい」っていう思いがどんどん強くなってしまって。 今もなおブリーディングを続けています。
僕がペットショップに思うこと
ここからは、かなり踏み込んだ話をします。
ペットショップが悪いわけじゃありません。
が、中には悪いペットショップもちろんあります。
でも僕は、ペットショップが「好きじゃない」というより、
「必要ないんじゃないか」ってずっと思っているんです。
イタグレとスピッツ、この2犬種のことだけでも
、勉強して覚えることがものすごくたくさんありました。
犬種の特性、かかりやすい病気、しつけの方法、性格の傾向、食事の注意点、運動量の目安……。
本当に犬種によって全然違うんです。尽きない勉強です。
ペットショップって、何十犬種も扱いますよね。
それ掛ける何十種類って、正直、無理なんじゃないかって
僕は単純に思っています。
どうやって説明しているんだろう。 どこまで勉強しているんだろう
一つの犬種でもこれだけ覚えることがあるのに、
全犬種分の知識を持っている販売員さんがいるのか。
正直なところ、いないと思っています。
でも、犬を迎える方に対して、それってまずいんじゃないでしょうか。
その犬種を飼いたいと思っている方に、正しい情報を伝えられないまま販売している。
飼った後に「こんなはずじゃなかった」ってなる人が出てくる。
それって、犬にとっても、飼い主さんにとっても、
不幸なことだと思うんです。
だから僕は、子犬の販売はブリーダーが直接行うべきだと考えています。
その犬種のことを一番よく知っている人間が、
責任を持って説明して、渡す。
それが当たり前の形になってほしいと思っています。
保護犬へ思うこと
これを言うと本当に炎上するんですけど、
書きます。 僕は保護団体も「いらない」と思っています。
「いらない」っていう表現は強いかもしれません。
正確に言うと、
「ペットショップも保護団体も、本来はブリーダーが全部賄うべきだ」という考えです。
保護犬には大きく分けて2種類あると思っています。
1つ目は、本当に野良で生まれて野良で育った野犬。
2つ目は、ブリーダーがブリーディングを終えた引退犬や飼い主さんが飼えなくなった子。
まず野犬について。 野犬に関しては、行政の保健所があります。
神奈川県だと平塚、横浜、川崎、相模原にもあるのかな?
そこで実際に保護されています。
野犬だけの保護団体は100歩譲って良いとして。
僕が最も必要ないと思っているのは、
ブリーディング引退犬を保護団体に渡して、寄付という名の譲渡金を取るという、
いわゆる「保護犬ビジネス」です。
これ、よく考えてみてください。
ブリーダーが、自分で何年も育ててきた親犬たちを、
どこの誰かもわからない団体に渡す。
その団体は、その子たちを「保護犬」として可哀想な犬として扱い、
募金を集めたり譲渡金を取ったりしてビジネスを成り立たせる。
これって、おかしくないですか?
ブリーダーは、その子たちの一番の理解者のはずです。
何年も一緒に暮らしてきた家族です。
それを、自分の手で里親を探す努力もせずに、団体に丸投げする。
無責任だと思います。 親犬に対して、責任がない。
そういうことをするブリーダーって、
まともなブリーダーじゃないです。
そして、引き取った親犬を可哀想というブランドに仕立て、
引き取り手を探す手法も好きではないです。
僕の聞いた団体では、
親犬の中で、可愛くすぐに里親が決まりそうな子だけを連れて
実年齢を詐称し「推定」という言葉を使い若い年齢を伝える。
そんな団体もいました。
累計譲渡犬数数万頭を超える大きな団体です。
ブリーダーが果たすべき責任
本来であれば、ブリーダーは自分たちが育てた親犬を終生飼育するのが一番です。
それに尽きます。 自分のところで最期まで面倒を見る。それがベストです。
でも現実問題として、ブリーディングの頭数制限もあります、
引退した子たちが増えていくと、一頭一頭に割ける愛情には限界が出てきます。
うちにも20頭くらいいるんですけど、20分の1の愛情になってしまう。
一人の膝を占領できない。一頭だけを見てあげられる時間が限られてしまう。
だから僕も、引退した子の譲渡先は探します。
終生飼育が理想だけど、その子にとって一番幸せな形を考えたときに、
新しい家族のもとで愛情を一身に受けて暮らす方がいい場合もある。
でも、保護団体に渡すんじゃないんです。
ブリーダーが責任を持って、自分で家族を見つけるんです。
だって、その犬の性格、習性、行動、一番わかっているのはブリーダーなんですよ。
何年も一緒に過ごしてきたんですから。
どんな環境が合うのか、どんな家族がいいのか、一番わかっているのは僕たちなんです。
それを自分たちで探さないっていうのは、
本当に無責任だと思います。

飼えなくなった子の行き先
もう一つ、飼い主さんが飼えなくなったワンちゃんを保護している団体についても話させてください。
これも本来はブリーダーが賄うべきだと僕は思っています。
人間って、本当に何があるかわかりません。
病気になるかもしれない、
仕事の都合で引っ越さなきゃいけないかもしれない、
家庭の事情が変わるかもしれない。 飼えなくなってしまうことは、
十二分に考えられます。
ない方がいいのは当たり前ですけど、あり得ることです。
そのとき、例えばうちから渡したイタグレの飼い主さんから
「すみません、家庭の事情で飼えなくなってしまいました」って連絡が来たら。
それは僕が引き取るべきなんです。
だって、僕のところには、イタグレを飼いたいっていう方から連絡が来るんですから。
飼えなくなったオーナーさんと、新しく飼いたい方をマッチングすればいい。
そうすれば、犬目線で見たときに、たらい回しにされないんです。
保護団体に回されて、いろんなところをたらい回しにされて、
トライアルでいろんな家族のところに行って……っていうのと、
生まれ育った犬舎に戻ってきて、そこで新しい家族を待つのと。
どっちが犬にとって負担が少ないか
家が増えないんですよ。
犬舎から出て、飼い主さんのところに行って、事情があって犬舎に戻ってきて、また新しい家族のところに行く。
それだけ。シンプル。
だから僕は、保護団体っていうのはいらないなって思っています。
手放さなくてはいけなくなった時、保護団体や保健所に連絡ではなく
こちらに連絡ができるような関係をいつまでも築きたいと思っています。
僕が目指す世界
僕が見たいブリーディングの世界、
そのあり方っていうのが一つあります。
恥ずかしながら、理想を語らせてください。
今の犬の流通経路って、正直おかしいと思っています。
複雑すぎるし、中間に入る業者が多すぎる。
その過程で、犬が不幸になるケースが生まれている。
僕が目指す世界は、シンプルです。
犬たちが、無駄な仲介業者なく、
家族を見つけられて幸せになれる世界。
ブリーダーから直接、飼い主さんへ。
何かあったら、ブリーダーのところに戻ってくる。
また新しい家族を、ブリーダーが責任を持って見つける。
そのためには、ブリーダーが大部分の仕事を賄うべきだと考えています。
子犬の販売も、引退犬の譲渡も、飼えなくなった子のケアも。
全部ブリーダーの責任。
もちろん、保護団体にもペットショップにも、
本当に動物愛が強くて犬のことが大好きな方はいらっしゃいます。
志を持って活動されている方もたくさんいると思います。
でも、そのシステム自体に加担することで、
結果的に不幸になる犬が増えてしまうと僕は思っています。
だから僕は、そういった中間業者はなくてもいいんじゃないかって考えています。
それが変わったとき、もっとこの世界が良くなるんじゃないか。
いぬとの世界が、より良い世界になるんじゃないか。
そうなる世界に近づけるように。
少しでも。一頭でも。オーナーさん一人でも。
だから僕は、このブリーディングを続けています。
最後に
長くなりました。 ここまで読んでくださって、
本当にありがとうございます。
最初に言った通り、僕がブリーダーになったのは成り行きでした。
鷹匠になりたくて、イルカのトレーナーになって、動物園で鳥を飛ばして、三宅島でイルカと泳いで。 その流れの中で、たまたま辿り着いた場所がブリーダーだった。
でも、この世界に入って、見えてしまったものがあります。
変えたいと思ってしまいました。 もう、見なかったことにはできない。
だから続けています。 だから発信しています。
賛否両論あると思います。 違う意見を持っている方も、たくさんいらっしゃると思います。
「お前に何がわかる」って思う方もいるかもしれません。
でも、これが僕の本音です。
一人のブリーダーとして、正直に話しました。
読んでくださって、ありがとうございました。
西山